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「小さい頭巾」と「枕の掃除」と「トンヌラ」による、映画のレビューブログ。楽しければいいじゃない。そんな我々の遊びの場。Twitter ID:@coldish1014

子供から大人まで、全ての人の物語『インサイド・ヘッド』

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どうも『枕の掃除』です。

 

運命の出会いというと、漫画や映画の中だけの話のように思われる方もいると思いますが、偶然の出会いがその人の人格にまで影響を与えてしまうというケースは確かに存在します。

それは必ずしも人ではなく、形あるモノであったり、時には形のないモノであったりもするかもしれません。

 

今回紹介する映画は、偶然出会ってしまった私の大好きな映画についてです。

 

 

インサイドヘッド

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あらすじ

11才のライリーの頭の中にはヨロコビイカリムカムカビビリ、そしてカナシミの5つの感情が住んでいます。生まれ育ったミネソタを離れ、遠い街へ引っ越してきたライリー。不安とドキドキがいっぱいになったライリーは、心の中でヨロコビカナシミが迷子になってしまいます。ヨロコビカナシミを失ったライリーは全てを取り戻すためある行動に出るのだが……

 


映画『インサイド・ヘッド』最新予告編

 

この映画が公開された当初、私はこの映画にまったく興味がありませんでした。それどころか、擬人化された感情の物語という設定に、感情は個々に擬人化できるほど単純じゃないし、なんて狭くて個人的な話なんだと呆れかえっていました。

 

そんな私がこの映画を観たきっかけは、友人と行った海外旅行でした。目的地まで約8時間ほどかかる行きの機内で、私はとりあえず映画でも観ながらゆっくりしようと思い、適当に選んだのがこの映画でした。

 

 

観るものがなく、仕方なく選んだこの映画でしたが、結論から言えばこの作品、とんでもなく面白い映画でした。

 

 

まず私が一番懸念していた、擬人化された感情という設定については、さすが感情だけあって、それぞれの特徴が明確に分けられていることに感心しました。

 

特にヨロコビライリーをただただ幸せにしてあげたいという無償の愛が、当時姪っ子ができたばかりの私に突き刺さりました。なるほど、ヨロコビすべての子を持つ親であり、直接親ではないが今の自分でもあるんだと理解しました。

さらに、その人の性格を5つの擬人化された感情にだけに集約するのではなく、感情と想い出と人格をそれぞれ視覚的に別の形で表しているのが面白かったです。感情が思い出を作り、特別な思い出がその人のパーソナリティを形成する。それを視覚的にわかりやすく表現されていることに驚きました。

 

 

物語は進み、ミネソタからサンフランシスコへやってきたライリーの心は乱れに乱れ、ヨロコビ以外の感情で溢れかえります。そんな心の乱れからヨロコビカナシミは心の中で迷子になってしまい、ライリーは感情を失ってしまいます。

 

ここでムカムカビビリが不在のヨロコビに代わってヨロコビを演じようとするも演じきれていないというシーンが、あるあるすぎておかしかったです。

 

ヨロコビカナシミが心の中を彷徨うシーンは、物語として面白いということに加え、記憶や心の性質の説明にもなっていて、二重に楽しめました。

 

 

ヨロコビカナシミが旅をする中で、ついにヨロコビが、なぜ人はカナシミを持っているのかを理解するシーンでは、ボロボロと涙がこぼれてきました。

 

ヨロコビカナシミの意味を知るという、プロットの鋭さ、恐ろしさ。

 

私も、私の中で何かを犠牲にしながら成長してきかと思うと、本当に涙が止まりませんでした。

 

常に子供にはヨロコビで溢れていてほしいと思う親心がある一方で、ただ自分もカナシミや辛い経験を乗り越えて大人になったように、いずれすべての子供が同じ経験をしていくのかと思うと、苦しくて仕方がありませんでした。

 

誰ですか、狭くて個人的な話し過ぎて呆れかえるなんて言った人は!呆れかえるどころか、すべての人に当てはまる極上エンターテインメントじゃないですか!

 

それに感情は個々に擬人化できるほど単純じゃないという不満にも、ちゃんとアンサーしているラストには脱帽です。

 

 

昔初めて借りぐらしのアリエッティを観たとき、キャラクターが小さいからとはいえ、こんなにも物語の広がらないミニマムな話ってどうなの?と思ったものですが、この映画もライリーだけにスポットライトを当てれば、「思い立ってやめる話」と要約できるほどミニマムな話ではあるのですが、それなのにここまでダイナミズムに溢れた作品に昇華できるのはさすがピクサー映画だからなのでしょう。

 

 

結局私は行と帰りの飛行機で計3回この映画を観て、ブルーレイも購入して、もう何度も繰り返し鑑賞しています。

 

 

あの時飛行機の中でこの映画に出会っていなければ、きっとこの映画を誤解したまま一生を終えていたことでしょう。

みなさんもいつどこで、運命の1本に出会えるかわかりませんので、たまには普段見ない映画を観てみるのもいいのではないでしょうか。